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[NEW] 中村照夫がGroove Collectiveのゲストとしてメキシコ公演に参加。

4月29日メキシコのプエブラにて、グルーヴ・コレクティヴの公演が行われ、マウントフジ・ミュージックフェスティバルでも共演したトム・ブラウン(tp,flh)と共に、中村照夫(bass)、マリーク・ワシントン(ds/※東京タワー『THANK』のエイズ・アウェアネス公演でジェイ・ロドリゲスと共に過去来日)が加わりました。公演は大成功を修め中村照夫の貴重なライヴパフォーマンスを観ようと、ヨーロッパのプロモーターなども訪れていたとのこと。「ダンスを踊る国の人達は、音楽に関する感性が本当に優れているんだなと思った」と中村さんは語る。とても盛り上がったことでしょう。グルーヴ・コレクティヴのホームページ等でその模様が公開されるということです。お楽しみに...。

近年日本で音楽が可能になることを模索し続けて、エイズ・アウェアネスの公演を行ってきた中村さんですが、Groove Collectiveのリーダーであるジェイ・ロドリゲスさんはその公演の為、最多出場で毎年来日し、公演を聴きに訪れた人々や、社会貢献団体のボランティアの人達と積極的に溶け込んで、演奏でその活動と中村さんをサポートし続けてきました。

現在の中村さんは、ニューヨークで70年代から現在に至るまでの苦楽を分かち合った音楽仲間や共演者達と共に、日本へ現在進行形のジャズと貴重なアーカイブ作品を届ける為、プロデュースするチーターレコードレーベルから新作を発表し続けながら演奏活動を続けています。彼らスーパーフレンズ達との絆(きずな)が生み出す、今後の活動展開に目が離せません。
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「中村照夫との思い出」(Ken Hidaka blogより)

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申し訳ありません。

このページはこちらの中村照夫Radioコーナーのページに移動いたしました。

NYの中村照夫から、メッセージ。

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私は去年のクリスマス前にニューヨークにもどりました。皆様のご協力のお陰で去年も有意義な年でした。 去年で14年目の節目となるエイズ・アウエアネスの公演を山中湖の湖畔で開催致しました。マウントフジミュージックフェスティバル、2日間のイヴェントはニューヨークから30人のミュージシャン、日本の六大学のオールスタージャズオーケストラ、日本の若手のジャズグループ(24カラット、ジャバループ)、世界銀行、ウガンダの大使の参加など大変に有意義な2日間でした。

【レコードレーベル "チータ" 発足に関して】

去年の夏にポニーキャニオンレコードに自己のレコードレーベル"チータ"を発足すことが出来ました、レーベルを持つ目的は私が70年代の後半から現在にいたる迄に収録していた幾つかの貴重な音源を序所にリリースして行く事と今ニューヨークで起こっている音楽を録音してリリースする事などです。

去年の12月16日に最初のアルバムをチータ・レーベルよりリリース致しました。 この数年、私のエイズ・アウエアネスの公演で一緒に演奏をして来たバイブラフォーン奏者のビル・ウエアーのアルバム、タイトル "プレイライト" セカンドリリースは1月16日に2人のアーティストの作品がリリースされました、ギターリストのバリー・フィネティのアルバムタイトル "ブルースフォーコルトレーン" バリーはマイルス・デヴィス、ジャズ・クルセイダース、ブレッカー・ブラザース、私の日本における公演にも何回も参加して来ました。それとキーボードのバーニーマッコールのアルバム "フラッシュバックス"。2月には私の79年のアルバムでカーネギーホールでのライブ "Live at CarnegieHall" 。 このアルバムはオリジナルにポニーキャニオンのアガルタレーベルから発売された。(今回は行方洋一氏のマスタ−リングによる初のCD化です)

4月にはサキソフォーン奏者のボブ・ミンツアーのオルガントリオ アルバム名 "キャニオン・コーブ"をリリース致します。 この録音はロスにて去年の12月20〜21日に収録致しました。 ボブミンツアーとは78年からの付き合いで(私のバンドメンバーでした)、カーネギーホールのアルバムでも一緒に演奏をしています。ちなみにボブのビッグバンドは以前にグラミー賞を受賞しています。ボブの最初のビッグバンド(※)のアルバムは私が制作しました、このプロジェクトも後にリリースをする予定です。

5月にはマルチリードプレイヤーのジェイ・ロドリゲスのアルバム名"アフロ・コネクション"をリリース致します。 ジェイも私のバンドで数年間一緒に演奏をしてきました。グルーブ・コレクティブ(グラミー賞ノミネート)、;ギル・エヴァンス、プリンス、ティト・プエンテ、レイバレット、スティービーワンダーなど、多種類の音楽を演奏してきました。

私が過去14年間行なって来たエイズアウエアネスのプロジェクトはミュージックアウェアネスでもありました、今回のキャニオンレコードへのアルバム制作は音楽をこの世の中に広めること(アウエアネス)に繋がります、よってこれから先リリースされるアルバムをサポートして頂きたく思っています、これから先もどうか宜しく御願い致します。                       


Teruo Nakamura    January,21 2010

(3月中旬現在製作中のTom Browneのアルバム参加メンバーと一緒に製作スタジオにて。(左)オーネット・コールマンのバンドのアル・マクダウ(bass)。(中)中村照夫、(右)フレッド・ウェイスレー(trb))


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(左・写真はレコードでリリースされた"Live At Carnegie")


※リンク先のディスコグラフィーの最初のアルバムは中村照夫のアイデアとプロデュースをもとに、1983年に制作されました。以降活動は継続され、グラミーを受賞。

各音楽雑誌に中村照夫ライジングサンの「ライヴ・アット・カーネギー」が取り上げられました

「スウィング・ジャーナル」「アドリブ」「ジャズライフ」各紙に中村照夫さんの「ライヴ・アット・カーネギー(iTunes Storeへリンク)」のCD評が掲載されました。
(↓各々記事をクリックすると、拡大版で表示されます)

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『Mr.Bassman ベースマン列伝』(The Walker's P.24-25)

中村照夫さんが紹介されました。

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『ニューヨークの日本人ジャズ・マンで中村照夫は最大の成功者』(jazzlife3月号)

【jazzlife3月号特集記事】中村照夫さんが紹介されました。

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Teruo Nakamura Rising Sun Band 『AT CARNEGIE HALL』2月17日に初CD化リリース

中村照夫が率いる、ライジング・サン・バンドの70年代の活動を総決算。アメリカでジャズAt Carnegie CD版.jpgチャートのトップ10入りを果たしブレイク。79年にNYの殿堂カーネギー・ホールで行われた単独公演のライヴ録音が初CD化!!

チータ・レーベルからは、新作以外にも過去のアーカイブ作品もリリースを予定しているが、その第一弾となるアルバム。中村照夫は1973年に初リーダー作『ユニコーン』をリリース、自らのバンド「ライジング・サン」を結成。76年にアルバム『ライジング・サン』、77年に『ソング・オブ・バーズ』をリリース氏て全米チャートのトップ10入りを記録。名門ボトムラインへも頻繁に出演していた70年代の総決算的なライヴアルバムが今作。収録曲は「ライジング・サン」「ソング・オブ・バーズ」からのもので、スティーヴ・グロスマン(ts,ss)、ボブ・ミンツァー(ts)、ランディー・ブレッカー(tp)、ドン・ウン・ロマン(per)、ハリー・ウィティカー(p)など最強の豪華メンバーが参加。縦横無尽にグルーヴする圧倒的なベース、NY黄金時代の輝ける熱気を捉えた伝説的なライヴ録音が、リマスターされ遂に初CD化となる。

2010年2月17日発売 
PCCY-30155 2,000円(税込)      (『waxpoetics 2月号』より)


【今までのリリース情報】↓ クリックで拡大表示されます
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中村照夫がプロデュースする「チータ・レーベル」12月16からリリース開始。

「本2009年12月16日、中村照夫がプロデュースする、彼のレーベル「Cheetah」による第一弾がポニーキャニオンから発売されます。引続き第二第三弾の発売も予定しています。 
彼がこの13年間、社会貢活動として続けてきた、毎年末の無料公演、RSF・「エイズ・アウェアネス・ジャズコンサート」を今年は形を変え、夏の山中湖畔で、ニューヨークや日本の彼の友人JAZZミュージシャン大勢の協賛出演による野外コンサートを、世界銀行や多くの社会貢献活動グループ、及び大学生JAZZバンドの参加と言う、彼の半世紀に及ぶJAZZベーシスト及びプロデューサーとしての活動と、13年間の社会貢献活動の実績無くしては為し得ない、全くユニークな構成でプロデュースし、『Mt.Fuji・Music Festival』を実現させました。 同様に、彼がJAZZアーティストとして、何としても世に残し伝えようとの強い思いで、この時代に通常では商業レーベルでは取り組む事の出来ない、真っ当なJAZZアートを、RSFの公演活動をスポンサードしてきたポニーキャニオンと共に、このレーベルで制作し発売に結び付けました。(平塚紘/ボードメンバー)

中村照夫にとって、社会に貢献する・社会に貢献する人達をサポートするというテーマで演奏すること、Awarenessを広めることの為の社会貢献コンサート活動は、ジャズの魂と呼ばれる「言葉ではないメッセージ」で、それは音楽に携わる人に関わらず人々の感性に伝播するもので、世の中に潤いを与える...すなわち芸術の役割に起因します。歴史的なアーカイブを世の中に残す活動もまた、そのメッセージを伝え残すための大きな役割であり、彼はそのメッセージは「かつて自分が単身渡米した後、巡り会った歴史的な演奏家から受け継いだものであり、その役割を引き継ぐ義務がある」と力強く語ります。今後展開する中村照夫プロデュースによる真心のこもった作品の数々を、どうぞお楽しみに!
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チータ・レーベル
http://www.cheetahjazz.com/


ご挨拶


昨年で13回目のMusic For AIDS Awearenessの公演を終えて、今年は新しいコンセプトの音楽と社会貢献の公演を13回続けたのと全く違う、日本の由緒ある富士山の麓・山中湖湖畔にあるステージで、Mt.Fuji Music Festivalをプロデュースすることになりました。そもそもこのFestivalは日本の三大Jazz Festivalとして過去その場所で行われていたMt.Fuji Jazz Festivalを受け継ぎ、新しくMusic Festivalとして再演することになりました。



今年はこのMusic Festivalに、過去RSF公演をご一緒してきた世界銀行東京事務所や、その呼びかけによって集って頂いた各団体、地球環境や社会環境の向上の為に尊い活動をされているボランティアの方々達、そしてこの活動に協力してきたくれた私の大切な同志であるNYを中心とした30人以上の実力派ミュージシャン、勉学と両立しながら仲間と共に音楽に青春を捧げる学生ビッグバンドのメンバー達、また、芸術・アートを人々の生活に与える為に日夜努力をなさっているアーティストやクラフトの作家の方々と共に、人間の持つ課題をアウェアネスすることになりました。大いなる自然に抱かれながら、生きて行く私達にとっての「喜び・感動・勇気」そして重要な「課題」を共有する場として、一人でも多くの方々に集って頂けましたら幸いです。


  2009年7月吉日   中村照夫


中村照夫の提唱するRSF活動趣旨に共感し、2009年演奏に参加協力するMusicianの紹介はこちら


Mt.Fuji Music Festivalについてはこちら→ event13.jpg - 11,869bytes


"私の愛車のアルファロメオと一緒に"(Photo by Makoto Sakai)

70年に当時著名な写真家Gus Petersonのアシスタントをしていた、酒井信さんが寒いハドソン川の前で撮ってくれた。(Arfa Romeo Jullieta Veloce 1968)

New York は緯度が青森と一緒、でも私は寒いマンハッタンで東京の冬仕度で生活をしていた、寒く感じたのが当たり前。


"NEWPORT JAZZ FESTIVAL"

"真夏の夜のジャズ"というドキュメント映画で有名な、憧れのニューポートジャズフェスティバルに車を借りて4時間かかって到着したが、歯痛で音楽を楽し く聴くどころではなかった。写真はこの一枚だけ撮っが、ネガはもう無くしてしまっている。ウェス、ポールもウィントンも今は既に死 んでいない。


"Stanley Turrentin At Madison Garden"(Photo by Seiji Kakizaki)

Stanley Turrentin がマジソンガーデンのコンサートに出演した, 1975年頃

Stanley Turrentine (Tenor Sax) George Benson (Guitar) Bruno Carr (Drums) Teruo Nakamura (Bass)

スタンリーはその頃、アルバム "Pieces of Dreams" という彼のアルバムが大ヒットしていて、一年の内に200回以上を飛行機でアメリカ中を私は一緒にツアーをしていた。そのツアーの中で、ジョージベンソン、フレディハーバード、グローバーワシントン、カーメンマクレーと一緒に演奏をする機会が有って、彼等の出す音の重 みとスピード感は一緒に演奏をしたことが無ければ解らない、この時の私は一緒に彼等と演奏をする事が天国だった。結構なギャラは貰っていたけれど。その 日暮らしでも満足だった。スタンリーもドラマーのブルーノ・カーも今は亡くなっていない。


"Rendez Vouz" のアルバムを制作中の写真

Jorge Dalto (Piano), Dave Sanborn (Alto Sax) and Teruo Nakamura "Rendez Vouz"

ホルヘはアルゼンティンの出身で、当時はGeorge Benson (Guitar) のメンバーだった、彼の一言であの有名な大ヒットした、"This Maspuerade"が録音に取り入れられて、George Bensonは有名になった。Jorgeも数年前に癌で死んだ。