中村照夫の提唱するRSF活動趣旨に共感し、2009年演奏に参加協力するMusician達です
Ray White(M.C.)
ユニバーシティ・サミット・ビッグバンド University Summit Bigband
鎌倉規匠
1971年横浜生まれ。国立音楽大学附属音楽高等学校(声楽科)、国立音楽大学音楽教育学部卒業。大学在学中初めてコントラバスに触れて以来、低音弦楽器の魅力に魅了され、卒業後ジャズのベース奏法を鈴木淳、中村照夫に師事。'01年三田『女性と仕事の未来館』で初のジャズ演奏で自己のグループが招致される。『ベースマン銀座に大集合』等にも自己のバンドで出演。現在は自己のグループの他、大友義雄グループの他、近年コンピューター音楽やクラシック音楽活動の分野を広げている。
高橋節
幼少よりエレクトーン、高校でドラムをはじめ、いくつもの賞を受賞し、高校卒業後単身渡英。
98年ロンドンのブルーネル大学入学。中退の後99年洗足学園入学。大坂昌彦、松山修に師事。卒業後、2001年12月単身渡米。ボストンのバークリー音楽院に入学。ジョー・ハント、ジョン・ハジラ、ケイシー・シェウレルに師事。2003年8月帰国。1月に上京と共に数々のミュージシャンとセッション、ライブ等を重ね現在はジャズ、ポップス、ロックなど、ドラムスだけでなくパーカッションも手掛ける。
アンディー・マックロウド Andy McCloud
ジェイ・ロドリゲス Jay Rodriguez
Jay Rodriguezは、サックス、フルート、ベース、クラリネットを演奏するのみならず、コンポーザー/アレンジャーとしても才能あるマルチアーチストである。1967年コロンビアのバランキヤに生まれ、1971年家族と共にNYCへ移住。 7才よりクラリネットを始め、15才の若さでTito Puenteグループのリードアルトを担当する。ニューヨークの有名なHigh School for the Performing Artsでハーモニーと音楽理論を学び、学友にはBill Charlap, Justin Robinson, Stephen Scottらがいる。その後もPhil Woods, Michael Wolff, Julius Baker らに師事し音楽スキルを高めていった。彼の天性の才能が認められ、過去2回グラミー賞のthe best jazz solo カテゴリーにノミネートされる。
多岐に富む才能を持つ彼は、マイルスとの即興演奏、Widespread Panicとのロック、Princeとのグルーブ、そしてNYのミュージシャン仲間とのジャムなど、年に200以上ものギグをこなしている。彼はまたGroove Collectiveのmusical directorとしてJames BrownとのジャムセッションやHip Hopパフォーマンスで人気のTupac Shakur、Isaac Hays、Erykah Badu、BBKing といった多くのアーチストと演奏を共にしている。その傍ら、音楽を通してドラッグやアルコール依存症者の回復支援や里子支援などを行う一面を持つ。彼の信条は、音楽を通して人生を、人生を通し音楽を学ぶことである。
DJロジック DJ LOGIC
DJ Logicは、ニュージャージー州ブロンクスで生まれ育つ。
子供の頃Hip Hop に興味を持ち、それをきっかけにターンテーブルを使用するようになる。
同時にファンクやジャズにも興味を持つことで、そのジャンルのミュージシャン達ともコラボをするようになった。
彼の音楽は、力強いヒップホップフィーリングを持つコンテンポラリー・ソウル・ジャズと表現できるのではないだろうか。
自身のグループProject Logicで頻繁にツアーする傍ら、Vernon Reid, John Mayer, Medeski Martin & Wood, Bob Belden, Jack Johnson, Chris Whitley, Christian McBride といったアーチスト達のレコーディングや公演にも参加している。
ギタリストのVernon Reidは彼の指導者的存在であり、LogicはReidのソロプロジェクト公演やスタジオセッションにも参加している。
トム・ブラウン Tom
Browne
1954年10月30日、ニューヨーク州クイーンズ出身。
クラシック・ミュージックとジャズに憧れ、11歳でレイ・コープランドに師事してトランペットを始める。
その後、作編曲を学ぶ傍ら、ニューヨーク大学で物理学を専攻したり、航空パイロットの免許を獲得するなど、異色の経歴を持つ。
若き日にソニー・フォーチュン、ロニー・リストン・スミス、ロニー・キューバらと共演。
その活躍が認められ、デイヴ・グルーシンとラリー・ローゼンが起ち上げたGRPレーベルと79年に契約し、トランペットによるフュージョン・ミュージックの先駆となる、初リーダー作『ブラウン・シュガー』をリリース。
その後もGRP、アリスタといったレーベルからヒット・アルバムを連発。
しかし、80年代中盤にはパイロット職に専念するため、自作の発表が一時中断したこともあった。
89年、ロイ・エアーズのバンドで第一線に復帰し、その後マーカス・ミラーらとも共演。
90年代には、Hip
Bopレーベルから『Mo' Jamaica Funk』(94年)、『Another Shade Of Blue』(96年)、『R 'N'
Browne』(99年)といった諸作で新たな魅力を発揮した。
エド・チェリー Ed Cherry
1954年10月12日、コネチカット州ニューヘイブン生まれ。
12歳のとき、ギターを始める。
73年にはバークリー音楽大学に進学、同時期にオルガン奏者ジミー・マクグリフのバンドで初のツアーを経験した。
78年にニューヨークに移り、ディジー・ガレスピーと演奏(92年まで)。
ガレスピーの死後、93年に初リーダー作『First
Take』(ジョン・ファディス、ケニー・バロン、パキート・デリヴェラ他参加)、74年にセカンド作『Second
Look』(ジョン・パットン、ケニー・バロン、ヨロン・イスラエル、スティーヴ・ネルソン参加)をリリース。
また、97年から98年にはロイ・ハーグローヴのラテン・ジャズ・ビッグバンドイに参加。
2001年には『The
Spirit Speak 』(Justin Time)を発表。
イヴ・コーネリアス Eve
Cornelious
1953年8月ニュージャージー生まれ、ヴァージニア育ち。
Roy Hargrove, Jon
Hendricks, Chucho Valdez, Mulgrew Miller, Carl Allen, Rodney
Whitaker, Mark Whitfield, Tim Warfield
など多くのミュージシャンとヨーロッパ、アジアなど世界中をツアーし称賛をあびている。
現在、イブはイーストキャロライン大学でジャズボーカルを教えているが、正規の授業を行うと同時にボーカルの巨匠Sarah
Vaughan、Ella Fitzgerald, Carmen McRaeやBilly Holidayの曲の彼女なりの解釈も紹介している
チップ・クロフォード Chip
Crawford
1952年ノースカロライナ生まれ。
70年代初頭バークリー音楽大学で音楽のキャリアを歩み始めたチップは、入学してから1年も経たないうちにFour
TopsやBilly
Ecksteinといった伝説的な人たちとのツアーやレコーディングに参加するようになった。
1974年、自身のグループWorkshoppe
を結成、Weather Reportの創始者でありプロデューサーJoe Zawinulの目にとまる。
Joe やDonald
Byrdというジャズの巨匠達との結びつきは、これより20年間に及び続いっていった。
彼はまた、Miles
DavisのプロデューサーTeo
Maceroのアレンジャーとしても長くつとめている。
優れた教育者であるチップは、1991年音楽の修士を取得、デューク大学、ノースキャロライナセントラル大学やシェパートマグネットスクールで教鞭を取った。
ノースキャロライナジャズコンポーザーのフェローシップ(研究奨学金)を2度受けた経験がある。
最近では、インターナショナルソングライター・コンペティション(International
Songwriter's
Competition)ジャズ部門において彼の作品「ザ・レスラー」が見事1位に輝いた。
現在、彼はマンハッタンに住まいを置いている。
月曜と火曜日ハーレムのSt.
Nick's Pubにて彼のパフォーマンスを聞く事ができる。

バリー・フィナティ Barry
Finnerty
1951年12月3日、サンフランシスコに生まれ、ウェスト・コーストに育つ(60年代の一時期、香港に移り住んだ)。
14歳でエレクトリック・ギターを始める。ハイスクールに入った頃からジャズ・ギターに興味を抱き、サンフランシスコ・コンサヴァトリー・オブ・ミュージックとカリフォルニア大学バークレー校で音楽を学ぶ。
その後ニューヨークに進出し、71年にバークリー音楽大学に短期間在籍。
74年にチコ・ハミルトン、アイアート・モレイラ、フローラ・プリムらと共演、75年にはジョー・ファレルのグループに加入するなど、活動の幅を広げた。
以降、ヒューバート・ローズ、タワー・オブ・パワー、サド・ジョーンズ&メル・ルイスレイ・バレット、ブレッカー・ブラザーズ、クルセイダーズ、ビリー・コブハム、マイルス・デイヴィスらのライブ・ツアーやレコーディングに参加。
シーンを代表する売れっ子セッション・ギタリストとなった。
マイルス・デイヴィス『The
Man with The Horn』、ブレッカー・ビラザーズ『Heavy Metal Be Bop』、クルセイダーズ『Street
Life』などはフィナティのギターなしでは語れない名盤といえる。
82年には初リーダー作『New York
City』をリリースしている。
最新作は2003年にBirdland Recordsからリリースされた『Trazz!
(trance Jazz)』。
カーティス・フラー Curtis Fuller
1934年12月15日
、ミシガン州デトロイト出身。
軍役中の53年から55年にはアーミー・バンドに在籍し(バンド仲間にジュニア・マンスやキャノンボール・アダレイがいた)、その後、ケニー・バレル、ユセフ・ラティーフらと共演。
57年にはニューヨークに進出し、短期間にディジー・ガレスピー、マイルス・デイヴィスソニー・ロリンズ、レスター・ヤングらのバンドで演奏、またジョン・コルトレーン、バド・パウエル、ソニー・クラーク、ルー・ドナルドソンらのレコーディング・セッションに多数参加し、頭角を現わす。
中でもリー・モーガンと共に3管の一人として参加した、コルトレーンのリーダー作『ブルー・トレイン』はジャズ・ファン必携の重要アルバムとなった。
これらの活動と並行して、ソロ活動も精力的に行ない、57年5月にPrestige
Recordsで『New Trombone』『Curtis Fuller with Red
Garland』の2枚のリーダー・アルバムを録音、 6月にはBlue Note Recordsと契約を交わし、『The
Opener』『Born and
Bari』『Vol.3』などのリーダー作を矢継ぎ早に録音した。
時代はバード・バップの隆盛期。
1957年の、この僅か半年の間に、フラーが残したこれら奇跡の演奏は、今もその輝きを失っていない。
また、1959年録音のリーダー作『Blues-ette』(Savoy)は、モダン・ジャズ史上屈指の名盤として知られる。
以降もアート・ブレイキー&ザ・ジャズ・メッセンジャーズ、カウント・ベイシー、ライオネル・ハンプトンらと精力的に活動。
J.J.ジョンソン(1924年生まれ)、カイ・ウィンディング(1922年)らの血脈を受け継ぐモダン・トロンボーン奏者として唯一無二の存在。
エディ・ヘンダーソン Eddie
Henderson
1940年10月26日、ニューヨーク生まれ。
コットンクラブのダンサーだった母、コーラス隊のメンバーだった父の間に生まれる。
9歳で音楽家を志し、トランペットを習い始める(この年に実父と死別)。
14歳の時、家族とともにサンフランシスコに移り住み、サンフランシスコ・コンサヴァトリー・オブ・ミュージックに進学、54~57年にかけてサンフランシスコ交響楽団の主席トランペット奏者エドワード・ハウグに師事してクラシック奏法を学ぶ一方で、医学博士だった継父の勧めもあり、サンフランシスコ大学、カリフォルニア大学バークレー校、ワシントンのハワード大学等で精神病理学を専攻し、
68年博士課程を修了。
サンフランシスコの病院でインターン生活に入る。50年代にマイルス・デイヴィスの音楽と出会い、ジャズの魅力に取りつかれていたエディは、当時、医学とジャズの二足のわらじをはく「博士号を持つジャズマン」とも呼ばれた。
70年~73年には、ハービー・ハンコック・セクステットの正式メンバーとして、世界各地で演奏活動を行ない、世界のジャズ・ファンからも知られる存在になっていく。
以後は、ファラオ・サンダース、アート・ブレイキー、ジョー・ヘンダーソン、マイク・ノック、ノーマン・コナーズらと共演。
70年代後期には、ロック色の強いフュージョン・グループを率いて活動、『Realization』『Inside
Out』(Capricorn)、『Sunburst』『Heritage』(Blue Note)、『Comin'
Through』(Capitol)といったリーダー・アルバムを残した(70年代にはイギリスでも大きな人気を得ている)。
90年代中頃からはストレート・アヘッドな演奏も聴かせ、2002年には、"恩師"マイルス・デイヴィスへのトリビュート作『So
What』(Sony)をリリースしている。
ヴィクター・ルイス Victor
Lewis
1950年5月20日、ネブラスカ州オマハ生まれ。
ミュージシャンだった両親の影響で、幼少の頃からピアノ、チェロ、トランペット、フレンチホルンなどを習得。12歳のときからドラムを始め、15歳のときには人前で演奏するようになっていた。
その後進学したネブラスカ大学では音楽を専攻。
バスター・ウィリアムスやビリー・ハートに勧められ、74年にはニューヨークに進出。ジョー・ファレル、デクスター・ゴードン、ヒューバート・ロウズ、ウディ・ショウ、アール・クルー、カーラ・ブレイ、デイヴィッド・サンボーン、ケニー・バロン、ボビー・ワトソン、スタン・ゲッツらと活動。
ドラマーとしてだけでなく、コンポーザー、バンド・リーダーとしての第一級の実力者。
名アレンジャー、デイヴィッド・マシューズ率いるマンハッタン・ジャズ・クインテットのドラマーとしても活躍した。
アルトゥーロ・オファリル Arturo
O'farrill
キューバ・ハバナ出身の名アレンジャー、チコ・オファリルを父に持つ、メキシコ生まれ、ニューヨーク育ちのピアニスト、コンポーザー。
マンハッタン・スクール・オブ・ミュージック、ブルックリン・カレッジ・コンサヴァトリー、アーロン・コープランド・スクール・オブ・ミュージックで学ぶ。
79年から83年、カーラ・ブレイのビッグバンドで活動後、ディジー・ガレスピー、スティーヴ・トゥーレ、フレディ・コール、レスター・ボウイ、ウィントン・マルサリスらと共演。
リーダー作でもトリオからコンボ、ビッグバンドまで多彩な活動を繰り広げている。
2003年にはラテン・ジャズ
USAアウトスタンディング・アチーヴメント・アワードを獲得するなど、名実ともにラテン・ジャズ界最高のピアニストへと成長を遂げている。
2008年には、ラテン~ジャズ界を代表するプレイヤー総勢18人を起用して、亡き父チコ・オファリルに捧げた大迫力のラテン・ジャズ・オーケスチオラ作品『Song
For Chico』(Zoho Records)
をリリースし、その実力を遺憾なく発揮している。
メンバー
Zachary
O'farrill (drums)
Adam O'farrill (trumpet)
Roland
Guerrero (percussion)
Ruben Rodriguez (bass)
シンシア・スコット Cynthia
Scott
1951年7月アーカンサス、エル・ドラド生まれ。
12人兄弟姉妹の10番目。 姉妹はピアノ、兄弟はギターを弾くというミュージシャン家族であり、シンシアも4才より歌を始める。
シンシアの父は宣教師で、家ではゴスペルしか聞くことを許されなかったが、姉妹の影響によりあらゆるジャンルの音楽に精通していく。
Carmen McRae, Roberta Flack, Aretha Franklin, Sarah Vaughan, Ella Fitzgerald, Billie Holiday...才能あるアーチストの影響を受け、アフリカンーアメリカン・カルチャーに根差したそのボーカルは、スイング・ジャズ、ソウル、ゴスペル・ミュージックとあらゆるジャンルを網羅する多才な芸術センスを磨いていった。
彼女は、観客のみならず、Wynton MarsalisやバックコーラスRaeletteのメンバーとして見出した故Ray Charlesなどのミュージシャン、シカゴ・トリビューンの評論家に至るまで、彼女と関わる全ての人たちに愛されている。
30年以上に渡りLionel Hampton, Cab Calloway, Margaret Whiting, Kevin Mahogany, Bill Charlap, Warren Vache, Norman Simmons, Wynton Marsalis など多くのアーチストとステージを共にしている。
リューベン・ウィルソン Reuben
Wilson
1935年4月9日、オクラホマ州マウンズ生まれ、カリフォルニア州パサディナ育ち。
ロサンゼルスを中心に自己のオルガン・トリオ組んで活動し、17歳でプロ・デビューを果たす。
66年、活動の拠点をニューヨークに移し、本格的な演奏活動をスタート。
Blue
Note Recordsと契約し、『On Broadway』でリーダー・デビュー、その後も『Love Bug 』、『Blue
Mode』といった人気盤を同レーベルに録音し、グラント・グリーン、サム・リヴァース、リー・モーガン、ジョージ・コールマンらとの録音でも渋いプレイを聴かせた。
当時、Blue
Noteには、ジミー・スミスを筆頭に、ジョン・パットン、ジャック・マクダフ、ロニー・リストン・スミス、ラリー・ヤングといった豪華なオルガン奏者が在籍していたが(50年代半ばから60年代中期はオルガン・ジャズの黄金期でもあった)、ウィルソンはジャズとポップスを融合する独自のスタイルで、その一角をなした。
近年のクラブ・ジャズ・シーンにおけるアシッド・ジャズやソウル・ジャズ・リバイバルで、リューベン・ウィルソンの再評価も高まっている。

グルーヴ・コレクティヴ Groove
Collective
1990年にニューヨークで結成されたジャズ・ファンク・ラテン・グループ。
94年にReprise
Recordsから、アルバム『Groove Collective』でデビュー。
当時は、Jonathan Maron
(Bass)、Jay Rodriguez (Sax)、Fabio Morgera (Trumpet, Flugelhorn)、Jash
Roseman (Trombone)、Richard Worth (Flute)、Itaal Shur
(Keyboards)、Genji Siraisi (Drums)、Gordon "Nappy G" Clay (Percussions
& Rap)、Chris Theberge (Percussion)、Bill Ware
(Vibraphones)という10人編成の大所帯。
サックス、トロンボーンからヴィブラフォン、シンセサイザー、パーカッションまで様々な楽器を取り入れた多彩なサウンドと、ジャズの即興性に加えて、ファンク、ラテン、アフロ・キューバンからヒップホップ、ドラムン・ベースまで幅広い音楽の要素を取り入れたグルーヴ、ビートは、
ダンス・ミュージック界にも新風を吹き込んだ。
2007年には『People People Music
Music』(Savoy)が、グラミー賞「ベスト・コンテンポラリー・ジャズ・アルバム・オブ・ザ・イヤー」にノミネートされた。
