Radio

harlemgroove.jpg[現在ON AIR中] Harlem Groove 

Ciao!79.6MHzで毎週金曜20時から60分間オンエア。サイマルラジオでも同時刻に聴くことができます。中村照夫が番組ホストを務めるラジオプログラム「ハーレム・グルーヴ」。世界の音楽シーンの中心ハーレムから、JAZZ、R&B、POPSなど、グルーヴする音楽をセレクト。


■Radio - ラジオへの挑戦者たち (文章:故・友田進/InterFM)

1985年の秋、年末に首都圏で15年ぶりに開局するFMラジオ局の話題で盛り上がっていた。そのステーションはFM横浜と呼ばれ日本で初めての「音楽専門局」を標榜していた。

そうした折、中村は自作プロデュース・アルバムの最終マスタリングの作業のためNYCから来日し 溜池の東芝EMIスタジオにこもっていた。ある日、中村を紹介されたFM横浜のPDである友田進がスタジオを訪れた。中村はこう語りかけた。「日本で最初のCD音源だけを使ったラジオ番組をやりたいんだ」と。中村はスタジオのプレーヤーを2台並べると矢継ぎ早に曲をつないでいった。音楽と音楽がまるで生き物のように空間をまわっていった。この"セグウェイ"と呼ばれる魔術に友田は驚いた。

1960年代にアメリカに渡った中村は1万局のラジオ局がひしめく彼の地、特に一つの都市で60局の放送局が存在するNYCで音楽ラジオの手法を肌で捉えながら生きていた。60年代は「ラジオ黄金時代」と言われるほど各局にはスターDJ達が日夜、登場していた。そうした一人にフランキー・クロッカーがいた。クロッカーは黒人たちから圧倒的な支持を得ているWBLS局の人気番組を担当してその巧みなトークとセグウェイする選曲で他の追従を許さなかった。中村はクロッカーに心髄しこのような番組を日本に持ち込みたかったのであった。

12月に開局したFM横浜で中村のプロデュースした深夜番組「Hip Pocket」が始まった。DJはジャズ局のWRVRからロブ・クロッカー、ロック局のWNEWからレイ・ホワイトエンジニアーには伝説のAM局のWORから「マジック・フィンガー」の異名をとるボブ・アイオリオが選ばれた。番組の選曲は中村が全精力をかけて行った。そこで流れる曲はロック、ポップスからジャズ、クラシックまで多岐にわたり語りが最小限に抑えられた構成で曲がセグウェイしていく流れはまさにフランキー・クロッカーでありNYCの夜が東京に再現されたような錯覚をリスナーたちに与えていった。

中村の番組は9年間にわたり放送が続けられた。中村は好きなジャズ・アーティストのヂューク・エリントンの言葉を引用してこう語っている。「音楽に二種類ある。良いものと悪いものだ。しかし、良い音楽はどれを並べてもクラッシュしない。何故ならばラジオはアートなのだから」と。

「Hip Pocket」はその後、局を変えて東京のInterFMに移り進化を続けながらオン・エアがされている。



中村照夫のラジオ番組との思い出を書いて頂いたKen Hidakaさんのblog記事をご紹介します。
■中村照夫との思い出
February 19, 2010

本誌(※waxpoetics)の最新号を先ほど読んで、ポニー・キャニオン・ジャズから中村照夫が自身の新しいレーベル、Cheetahを立ち上げた事を知った。

自分に取って、中村照夫という人物は凄く懐かしい思い出があるので、語らさせて頂きます。後々、ジャズ、フュージョン方面の音楽等をディグし始め、彼がニューヨーク/日本で70年代に制作した幾つかの名作の事を知り、ディグし、今でも大事にしていますが、彼がミュージシャンとは知らず、日本で高校生の頃、横浜FMが開局した時、中村さんは金曜日深夜にニューヨークで制作した番組が放送されていて、なぜか凄く魅了されました。同じ時間帯に全米トップ40や全英(前衛。。)トップ40のチャート番組も放送されていて、恐らくその後に中村さんの番組が放送されていました。ちょうどその頃、同級生がその当時流行りのインディー・ロック、R.E.M.の初期(マイケル・スタイプが何を歌っているのか不明な最初の数枚)、ザ・キュア等々を聴いている事を知り聴かせてもらい、それ以前は自分はどちらかというと、今で言うクラシック・ロック、トップ40のポップ/ロック、ヘヴィー・メタ等々を聴いていた感じで、この新しいインディーものにやられ、ハマっていた時期でした。ある意味では色々な音楽にオープンアップし始めた頃だと思う。

横浜FMで放送された全英トップ40の番組を初めて聴いた時の衝撃は、今までF.E.N.で聴いていた、ケイシー・ケイサムがフォエヴァーに司会を勤めていた/る?ビルボード・トップ40を小学校から聴いていたので、今でも忘れないです。なぜかと言いますと、全英トップ40のチャートは、アメリカよりも幅広い音楽がチャートインしていて、ジャンルとセンスが逆さまでしたので驚くばかりでした。

だが、中村照夫が制作されたラジオ番組は、当時17〜8歳である自分の中、初めて聴いた時、かなりヤられました。かなり大人なテイストな、ソフィスティケイテッドな音楽を渋く、80年代のニューヨークから制作され、全く新たな音楽世界、価値観をご紹介していました。初めて、マーヴィン・ゲイ「What's Goin' On」(聴いた後、速効に今渋谷の現サイゼリアがあるオリジナル・タワー・レコードに行き、モータウンから80年代に出していた再発版を購入した覚えがある。もちろん未だにこのレコードは持っている!)、マイルス・デービス「Tutu」、デヴィッド・ボウィーの当時の最新ヒット等々、別にジャンルとは無関係に良質な新旧問わず、音楽をニューヨーク・フレイヴァーで紹介していました。高校生だった頃、もう既に5〜6年はニューヨークから帰国し、浦島太郎状態、カルチャー・ショックからやっと脱却し、80s/昭和、プリ・バブル・ジャパン(J-Popはその当時まだ邦楽と言われていた頃)の頃で、あまり外国からの情報(FENかジャパン・タイムズしかなかった。インターネットがあったら!?)を探すのに一苦労の時代でした。帰国する前に毎週土曜日、日本人学校に行くためにスクール・バスに乗り、黒人のバス・ドラヴァーが運転し、彼はライ駅からマンハッタンまで多くの子供を連れて行き、なぜか全く馴染みのない(普通の郊外の白人が聴かない。恐らくマンハッタンに住んでいたら、当たり前なAMラジオ局)ラジオ・ステーションをバス内でプレイし、81年のヒット曲、Grover Washington Jr.のBill Withersが歌っている「Just the Two of Us」とか、覚えていないけれど初期のヒップホップとかもプレイしていて、中1の自分はただビビっていた。しかし、こういった新しい音楽に対し、どこか自分の音楽精神に刻んで行き、時間が経ちましたが、「Just the Two of Us」(その後Grover Washington Jr.のいいアルバムすべて揃いました!)も好きになり、色々な音楽に深究する事になった。それでまたNYの思いを持ち孤独感を味わえながら母国に馴染んでいったが、やはりNYから日本で紹介するものに対し凄く敏感ですべて憧れたせいか、中村照夫氏のラジオ番組には色々な面でドツボにハマりました。

恐らくこの頃は、自分に取って音楽ファンの人生の中、転換期だったような気がします。その中、中村照夫の番組は一つの自分に取って基礎を構築して頂いたような気がします。マイルス曰く、音楽は2種類しかない。いいものとよくないもの。未だにそう思いますし、新旧問わず、ジャンルも無関係に自分の五感を信じて感じる音楽は自分に取ってベストなんだとこの番組を初めて聴き、勉強になりました。高校卒業した後、ロンドンに留学することになり、さらに全く違う音楽の価値観と出会い、どんどん色々な音楽を消化し始め、KISS FMがまだパイレット・ラジオ局の頃、パトリック・フォージ(彼の番組を聴いた時あまりにも凄いジャズ等々をガンガンプレイし、又たまにハービー・ハンコック特集とか行ない、ハービーばっかりプレイし驚いた!)、ジャイルス・ピーターソン、コリン・フェイヴァー、コリン・デール、コールドカット(の番組を聴いていたら、スカパラのトラックをプレイした!)、ノーマン・ジェイ等々の番組しょっちゅう聴いていた。それで、色々な全く知らない音楽に出会う事が出来ました。

今思いますと、中村照夫が番組でご紹介している音楽は、その当時NYでは例えばマイルス『Tutu』は最高級の音楽だっただね。マジで音楽を知らないと、マイルス『Tutu』のアルバムの良さが解らないですし、また今『Tutu』を聴くと、あの80ズのNYサウンドは最高ですし! 『Tutu』のアルバムにはマーカス・ミラーがトミー・リプーマと共にプロデュースしていて、超エレクトロニック(確かにドラム・マシーンも使用している)なサウンドと最高級のバック・ミュージシャン(ジュージ・デュークも1曲トミー・リプーマと共にプロデュース/参加、スティーヴ・リード、オマー・ハキーム、ポーリーナ・デコスタ、マイケル・ウブレニアック(エレクトリック・バイオリン)と何とバーナード・ライトもシンセを弾いていて、最高のミュージシャンが参加)がマイルスを支えていて、同時にマーカス・ミラーはルーサー・ヴァンドロスの音楽ディレクター/ベーシスト/プロデューサー等も勤めていて、あの当時NYの音楽シーンは凄い時代だったんだなと、ここ15+年でやっと理解出来ました。そんな凄い時代に中村照夫氏はFM横浜で土曜日の朝に深い時間でNYスタイルな最高のサウンズを披露し自分は魅了された。この番組はいつ終了したのかな? と今ふと思いました。

もともとラジオを聴くのが大好きで、小学校からラジオを聴きまくり、ロンドンでもラジオを聴き、音楽の勉強をして来ましたが、10数年前に帰国したら、どうも東京のラジオに聴く気にもならないんですね。中村照夫の番組とか、『クロスオーヴァー・イレブン』(NHK FM)等のスタイルの番組は昔の産物なんですかね? また凄くいい音楽を紹介する、また良質な番組がたくさんある渋谷FMでさえ、聴きたいけれど渋谷区に住んでいないので、聴く事も出来ないし。

やはり中村照夫のラジオ番組のように、やはりすべてセレクション、もちろん良いセンスのあるセレクション(いいクラブ/ラジオDJのように)に限りますね。ディグするか、色々な現代ある方法で紹介し続けるしかないかと思いますね。無数にいい音楽は100円でも売っていますし、自分の価値観を他の良いものを知っている方から頂き、磨くしかないかと思う。そんな思いで、中村照夫に賛美を称賛したいです。彼みたいに自分に取って憧れる音楽ビジョンのある方々が良質な音楽をご紹介して頂き、こんな訳の解らないブログを書くようになり、常にディグし、自分が良いと思う音楽をエンジョイさせて頂いております。